萩原が初めてフェラに挑戦する話。
29歳軸
当たり前に生存。
普通にモブ出てくる。
誤字脱字はスルーしてください。
夢と現実の境界で、萩原は素直に喘いでいた。
寝起き一番に下半身を食われるのはすでに何度も経験済みなのですぐに察しはつき、むしろ声を聴かせたほうが相手は満足してさっさと終わらせるだろうと寝ぼけているフリをしていつもより甘い声を出す。そうしているうちに自分も調子に乗ってきて普段より感じていることに気づき「あー、声を出すって大事なんだナァ」などと呑気な分析をしていたときだった。
ベッドの端っこで振動と共にスマホがアラームを鳴らし始めた。
うるさいし気が散る。萩原は下半身に関してはナイーブな面があるのだ。腕をめいっぱい伸ばすが、でかい男二人が余裕で眠れるようにと買ったでかいベッドの端はやけに遠い。さらに下半身では相棒が萩原の性器にかぶりついているため動くことができない。アラームはうるさい、相棒は愛撫をやめない、スマホに届かない、気が散って射精できない、本日も勤労なり。
「ヘイ!グーガル!アラーム止めろ!」
かくしてアラームは止み、無事に射精も済んでめでたしめでたし、のはずだった。
「いや、すまんすまん」
相棒であり恋人でもある松田は、バターたっぷりのトーストに齧りつきながら侘びた。だが、ブラックコーヒーを飲む前に、思い出しては笑いを噛み殺している。
「笑ってんじゃねえよ。せめてフェラやめるか事前にアラーム消しておくかしろよ」
「ほんと、すまんって」
「明日から朝フェラ禁止だからな」
下半身はスッキリしたが、気持ちはまったく晴れやかではない萩原はガシガシとトーストを食べる。
セックスをしなかった日の翌朝は、必ず寝込みを襲われることが多い、気がする。しかも挿入をせずにフェラをされて、ただただ萩原が射精してスッキリして終わる。ということは……
「そういや、お前さあ、どこで抜いてんの」
食後の一服に煙草をくわえた松田は、一瞬「は?」という表情をしてから、何もない頭上を視線だけで見上げ「まあ、適当に」とだけ言って火をつけた。
「なんだよ、シャワーとか便所か?」
「まあ、そんなとこ」
長年の付き合いがある萩原にはわかっている。こいつ、今すっげえ適当に答えてるな、ということが。
二人の関係が始まったのは松田からだった。松田が先に萩原をダチ以上に見始め、多少は萩原がけしかけたこともあるが、決定打にしたのは松田だった。もし、松田が萩原のことをダチ以上に思っていなければ、萩原は今でも不特定の女性とだらだら遊んでいたかもしれない。だが、身体の関係を始めたきっかけは萩原からだった。松田も同じ男としてそれなりの性欲はあるが、松田以上に快楽に貪欲なのは萩原も自覚がある。だから朝フェラも、口で言うほど嫌がってはおらず、むしろ一人で処理する手間が省けてラッキーぐらいまで思っていた。
しかし、松田はどうだ。どこかで一人で処理しているのだろうか。長年片思いをこじらせてこじらせてやっと手に入れた俺という恋人が目の前にいながら、二十九歳にして爆発処理班の班長をやっている男が、一人で、どこかで、ひっそりと、自分の性器を擦って。
哀愁がある。哀しいマスターベーションだ。
そんな哀しみを恋人に背負わせているのか。
もしかすると、俺にフェラされるの嫌とか?
ありえないことはない。というのも、カミングアウトしている知り合いのゲイと飲んだ時に、なにげに問うたことがあった。双方に竿がある場合、互いにフェラをするのかと。答えは「人による」だった。その時は、「ふーん」だか「へえ」だか生温い返事をして終わったが、もっと詳細を聞き出すべきだったと後悔する。後悔するぐらいなら聞いたほうが早いなと、仕事が終わったあとにメッセージを送った。
「タチかネコしかフェラしねえってこともあるし、両方しないこともあるし、両方することもある。なんならセックスすらしないカップルもいる。だから人それぞれって言ったろ」
たしかに人それぞれという回答だった。
「ゲイだからこう、とかじゃなくてさ。二人で話し合ったら。お前はどうしたいんだよ」
ロッカーの前で私服に着替え終わった萩原は、腕を組んで虚無を睨みつけた。
「俺はどうしたいんだろうなあ」
小用で残業を強いられた松田のために、朝2ケツしてきたバイクは置いておくことにした。遠くに夜の気配を見せ始めた空は、湿った風を流していた。熱中症の案件が増えており、消防庁の救急は人手が足りないため、別の事故現場には積極的に警視庁機動隊のレスキュー班が呼び出されていた。いよいよレスキュー班でも手が回らなくなれば爆発処理班でさえ駆り出されるかもしれない。おそらく今日の松田の呼び出しはその件についてだろう。
大きな交差点で年寄りがよろよろと歩いていた。たのむから水分は摂ってくれよな、全世界よ、などと心で祈りながら信号を渡ろうとしたときだった。
背後で赤ん坊の泣き声と、小さな子どものぐずる声と、「もう、オムツも換えたし、ミルクもあげたのに、なんでなんで」と今にも泣きそうな女性の声が聞こえた。女性はベビーカーから赤ん坊を片手で抱き上げ、もう片手でベビーカーを押しながら、3歳ぐらの子どもに「早く渡ろう」と促すが、子どもは「あつい~つめたいの!」とぐずって動く気配がない。もうすぐ日は暮れるとはいえ、まだ炎天下も残っている場所で長くとどまるのは危ない。なにより、信号が赤になったところで、急に子どもが飛び出していく可能性もある。
「ベビーカー押すのと、お子さん抱っこするのどっちがいいですか」
萩原に声をかけられた女性は不信な視線を寄越して後ずさった。
「ああ、俺、一応おまわりさんだから、こんなでかい交差点を安全に渡ってもらうのもお仕事だから」と、警察手帳を見せると、女性は安心したらしく「すみません、では、上の子をお願いします。人見知りはしないので抱っこしていただけますか。この子、ぐずると一歩も動かなくなって」
「お安い御用~」と、ひょいっと子どもを片腕で抱き上げると、もう片手でベビーカーも引き受けた。ぐずっていた子どもは、いつもより高い視線が新鮮なのか大人しく辺りをきょろきょろと見回している。赤ん坊はまだ泣き止まずに女性の腕の中で泣き続けている。
「すみません、二人目になってもまだこの子が泣いている理由がわからなくて」
「どこか痛いとかではなく?」
「それはないと思います。痛いときの泣き声とは違いますから」
「えーそういうのわかっちゃうんだな。すごいなあ」
子どもは萩原の肩に頭を乗せて全身の力を抜き始めた。これは寝る体勢に入ったかもしれない。
「もしかしたら、もっとかまってほしいのかもなあ。前に保育士の人から聞いたんだけど、赤ちゃんってかまってほしくて泣いたりするんだって。大人でもそういうときありません? 好きな人といると、もっともっと遊びたいな、話たいなって。俺は今でもありますよ」
そこまで話したところで、萩原は自分で納得した。そうか、俺はもっと、陣平ちゃんにかまいたいのか。
眠ってしまった子どもをベビーカーに寝かせて、礼を言って夕陽の向こうに去っていく女性に手を振りながら、うんうん、と一人で頷いた。
「陣平ちゃんって、俺にフェラされんの嫌?」
夜の熱風にやられて汗だくで帰ってきた松田に、萩原は間髪入れずに尋ねた。
「こいつ帰ってきて早々何言ってんだ?」という表情をしたあと「とりあえず、水飲ませてくれ」と冷蔵庫から冷えたペットボトルをがぶ飲みする松田に、萩原は「俺さあ」とソファから話しかける。
「今まで陣平ちゃんのちんこくわえたことねえじゃん。男のちんこだぜ? 普通に考えたら無理!ってなんだけど、陣平ちゃんは俺のフェラするし。好きなヤツのちんこならイケんじゃねえかと思ったわけよ。イメトレはしたけど、よくわかんなくてさ。ごちゃごちゃ考えるより、実践したほうが早いなって」
空になったペッドボトルを握りつぶして分別ゴミ箱に捨て、ジャケットを脱ぎネクタイを外して投げ捨てた松田は、萩原の隣に座り靴下も脱いだ。
「別に、無理しなくていいんだぜ……」
松田はやや疲労感のこもった声で言う。
無理ではない。だが、これをどう説明しようか悩んだが、帰路途中の親子のことを思い出した。
動物にとって食事を摂る時間というのは自分の生死を分かつ瞬間でもある。だからこそ、哺乳類の赤ん坊は必死になって母親の乳に吸い付くのだ。しかし、人間の赤ん坊は、そんな大事な栄養補給の時間を途中で休むという。乳首から口を離して母親の顔をじっと見つめるのだ。すると母親は「どうしたの」と赤ん坊に語りかける。赤ん坊はその母親から「どうしたの」という言葉を聞きたいがために、わざと乳首を離すのだ。
生死を分かつ栄養補給を休んでまで、好きな人とコミュニケーションをとろうとする。それが学習ではなく、人間という遺伝子に組み込まれた本能ならば、それは大人になっても消えることはない。
「陣平ちゃんも、そんな赤ちゃんの時代があったと思うとかーわいい」
思えば、松田は萩原限定で寂しがり屋なのだ。なにかと無駄なちょっかいをよく萩原にしてくるのがいい例だ。
「そりゃお前だって赤ん坊時代があったんなら同じだろうが。で、その話とフェラとどう繋がんだよ」
「つまりさ、コミュニケーションのレパートリーは多いに越したことねえだろ」
少し首を傾げて覗き込むように笑う萩原を、松田はしばらく見つめていた。青い瞳が細くなり、やがて閉じられると軽くキスをしてから「さっとシャワー浴びてくる」と風呂場へ駆け出した。
ベッドでスマホを弄ってだらだらしていると、数分もしないうちに慌ただしく松田がやってきた。烏の行水であるが、一応は上下アンサンブルのルームウェアは着ている。
「お前、まだ髪の毛濡れてんじゃん」
首から下げているタオルで相手の頭を拭いてやろうとしたが、頭を思いっきり振って水滴を飛ばしてくる。思わず「犬かよ」と萩原は突っ込む。
「待ってられっかよ。……ちゃんと身体はキレイに洗った」
「気にするとこそこかよ。まあ、そこか」
ほんじゃまあ、と車の整備をする前みたいなノリで隣に座った松田のパンツに手を伸ばす。が、松田はその腕を捕まえ、萩原の身体ごと引き寄せた。
顔が近い。こんなときの松田は獣のような顔をするか、あるいは慈しみに満ちた瞳を寄越す。今回は後者だった。萩原はこの男の持つ、海を凝縮したような青い瞳が好きだった。そこに映されているのは、自分ひとりだという光悦感。
「ダメだったら、途中でもやめろよ」
わーってるって、と言う口を松田は舐めてきた。軽く喰む唇が少し冷たい。冷水を浴びてきたな、と思いながら、萩原は温めるかのように相手の唇を吸った。
柔らかなキスを繰り返しながら、松田の手が萩原の後頭部を優しく撫でる。萩原としては別にいきなりくわえったってよかったし、なんならそっちのほうが結果が早くわかっていい。だが、松田はそれを許さない。萩原も女性相手なら同じように、まずは気分を盛り上げるところから始めるだろう。それは「そうやれば盛り上がるから」というテクニックのひとつであって、セックス前の枕詞のようなものだ。
だが、松田のこのキスはテクニックではない。対人スキルでそこまで器用なやつではない。
「嫌なら途中でやめても良い。やめても呆れたり落ち込んだりしない。むしろ、チャレンジしてくれたその気持ちが嬉しい」
という気遣いが生んだ天然の「まごころ」である。
その「まごころ」が結果的に、二人の気分も盛り上げていく。相手の太ももに手を這わせると、今度はその手を掴んで松田は自分の下腹部に誘った。布越しに揉んでみると、すでに硬くなっていた。中に手を入れて、陰毛をかき分け性器を取り出す。唇を離し、かわりに松田の性器の先端に唇をつけた。すでに先端が濡れており、萩原は舌先で掬って舐めた。しょっぱいような苦いような、美味しくはない。だが、吐き出すほどでもない。先端をちろちろと舐めてから、今度は裏筋に舌を這わせる。根本から一気に先端に向かって舐め上げると、松田の身体ごと震えた。
やはり同じ男だな、気持ちいいとこは一緒か。ならやりやすい、と、先端から吸い付くように飲み込んでいく。さすがに最後まで入り切らす、根本は手で擦った。歯が当たらないように吸っていると、頭に手が添えられた。視線を感じる。こいつは雰囲気で興奮するタイプだ、と思い出し、よく見えるように垂れた髪を耳にかけた。そしてわざと吸い付く音を聴かせる。松田の息が荒くなり、時折小さな声が洩れる。インナーに隠れていた陰嚢も揉んでやると、萩原の頭に置かれた手に力がこもった。
自分の愛撫で、松田陣平が興奮して射精感と抗っている。
その様子を下から見上げていることが、萩原は楽しくて仕方なかった。
喉の奥まで突っ込み、流れる先走りを飲み込む。吸い付く力を強めて、根本から擦り上げる手を早めた。このまま続けていたらもうすぐ射精しそうだ。そんな気配を感じたところで、萩原は唐突に口を離した。そして頬に濡れた性器をくっつけて見上げる。松田は突然消えた愛撫に、「どうした?」と聞いた。聞いたところで、萩原の微笑みを見て意図に気付き、長く嘆息した。
「お前なあ」
ただでさえ萌え死にかけていた松田は、追い打ちをかけるように萩原の「へへ」という笑みに完全に堕ちた。萩原は、上から被さるように抱き込んでくる松田を抱きしめ返す。松田は萩原の肩に顔を押し付け「くっそ、くっそ……ずりぃ」とくぐもった声で唸った。
そして限界を極めた松田に、萩原はいつものように抱かれるのだった。いや、いつもよりも熱い夜だったようにも思う。
なにせ熱帯夜である。仕方ない。
真夜中に、松田は目を覚ました。
暗闇の中に、カーテンから洩れる外光が天井で揺れている。
エアコンの音と、隣で眠る萩原の寝息が混じっている。
こめかみに鼻を寄せると、ツンと汗の匂いがした。生の香りだ。
指の背で、眠る男の頬を撫でる。
生きている。
この世に存在する。
彼は生まれてきたのだ。
数年前に、自分と同じぐらいの時期に。
職業柄か、元から数字に強いせいか、年間死亡者数というものを勝手に覚えてしまう。
出産時の死亡率、子どもの事故や病気の死亡率、中高生の死亡率、事故の……
生まれてきてくれてありがとう。
頬を撫でながら、松田は祈る。
生きてくれてありがとう。
その細胞ひとつひとつに。
松田は祈り続ける。