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原案・監修:灰島
著者:四ツ屋
うららかな春の午後。やわらかな日差しと緑の匂いを含む風に包まれて萩原はあくびを噛み殺した。暇を持て余しているように見えるが、本日はもちろん仕事である。
これが休みで、恋人とのんびり過ごせる休日ならなんと幸せなことか。
「お、馬だ」
「騎馬だな、かーわいい」
「その辺でウンコしたりしねぇのかな、あいつら」
「じんぺーちゃん、不敬罪」
カッポカッポとかたわらを蹄の音を鳴らして通っていったのは皇宮警察である。言っても詮無いことだとは分かっているが、専門職がいるなら任せちまえばいいのに、とは昨夜ベッドの中で松田が漏らした愚痴だった。
「呑気な顔してんな、あの馬」
「尻、ぷりぷりしてちょっと美味そうじゃね?」
「ハギ、腹減ってんのか。終わったら今夜は焼き鳥でも食うか」
「いいねぇ」
悠々と歩いていく栗毛の馬を見ているとその尻尾の揺れにどうにもやる気が削がれていく。夜中の重要防護施設警備であれば施設設備の試運転などでそれなりに楽しめるが、周辺のパトロールではそうはいかない。萩原は小さくため息をついた。
大手門の前を通ると、内堀通の向こうのビルの下をフレッシュな新入社員たちがキャッキャウフフと群れて歩いていくのが見える。それを眺めながら、自分たちにもあんな頃があっただろうかと思いを馳せる。いや、なかったな。どう考えてもなかった。フレッシュさとは遠くかけ離れていた。学校時代からやりたい放題やっていたし、その結果もう数えるのも面倒になるくらいの顛末書も書かされた。
それでも上司からはそこそこの信頼を得ているようなので、まぁいっか、と考えるのをやめた頃に無線が入った。
「はい、萩原でーす」
『通報が入った。内堀通り、二重橋方面に不審物あり』
「えー、不審物ですかぁ?」
「詳細は?」
『黒いモジャモジャの物体が落ちているが詳細は不明、確認されたし』
「黒いモジャモジャなら俺の目の前で歩いてますけど」
『不審物だっつってるだろうが』
「了解、二重橋方面へ向かいます」
松田が無線を切った萩原に嗜めるような視線を送る。サングラス越しの視線にぺろりと舌を出して見せてから、歩き出す。
西の丸大手門から敷地内へと入り、そのまま南西方面に向かうと、辺りを注視しながら草むらに分け入っていった。
「すげぇ急斜面だなぁ」
「ってかモジャモジャってなんだよ、もっと具体的な情報がねぇと分かんねぇよ、クソ」
歩道を外れて御堀の側へ寄っていくと傾斜のきつい斜面になっている。ちょうど警視庁が目の前に見える。知り合いに見られたら揶揄われそうなほど間抜けな格好を晒しているが、先程までの退屈な気持ちは吹き飛んでいた。とりあえず不審なモジャモジャが気になる。
動いていると日差しがじわじわと体温を上げていく。袖をまくると後ろ髪を括って制帽を直すと、幾分かマシになった。
「あ、じんぺーちゃん。あれ見てみろよ」
草むらの陰に、確かに黒い何かが見えた。まさにモジャモジャとした黒い塊は人工物ではなさそうだ。
「なんじゃこりゃ」
松田は呟きながら近寄っていく。その後を追いながら、萩原はそれに気付いて視線を逸らした。目の前の男の制帽の下と近い見た目にふつふつと笑いがこみ上げてくる。
いや、やっぱり松田だ。松田の頭部が落ちている。なんなら松田のモジャモジャの中で雛鳥がピヨピヨと松田に向かって餌をねだっている。そう脳裏に浮かんだ瞬間、萩原は耐えきれずに吹き出した。
「ぶ、ふ」
「なにゲラってんだよお前は」
「いや、だってそれ……ぶふ、なんでもねぇ」
怪訝な目を向けてくる松田に手を振ると、松田の頭部、もとい鳥の巣から視線を外した。
「こりゃあ、野鳥だな。この辺は多いらしいが……巣ごと落ちたのか?」
雛がピィピィと鳴き声をあげている。元気に餌をねだっているところを見ると無事らしい。背後で声を震わせていた萩原は笑いの発作をおさめてから無線を手に取った。
「こりゃ宮内庁に連絡だな」
「俺らじゃどーしようもねぇからな」
野鳥に触れてしまうと親が育児放棄するとも聞いたことがある、と松田は立ち上がった。人間の匂いがうつると親鳥はもう雛鳥を見捨ててしまう。不用意に触れて餌が貰えなくなってしまうのも忍びない。
上に無線で報告を入れると、すぐに宮内庁に連絡を入れてくれたらしい。程なくして、ダークスーツを着た職員が二人やってくるのが見えた。
なかなかに急な坂の斜面だが、落ち着いた足取りで降りてくる。なれているらしい。
「お疲れさまです、ご連絡いただいた件で参りました」
「あぁ、はい。こちらです」
上司らしい壮年の男性が、背後に若い女性を連れていた。生真面目な雰囲気の男に比べてパンツスーツの似合う快活そうな女性だった。
「あぁ、これは……なるほど。えぇ、これは大丈夫ですよ」
「え、そうなんですか?」
「ハクセキレイですね、こういった草むらにも巣を作ります」
男性の方が覗き込んだ膝を折って検分している傍らで、同様にしゃがみ込む松田の頭と巣との間を彼女の視線が行ったり来たりしている。
わかる、似てるもんな。そう言いたいのを堪えて萩原は頬の内側を噛んだ。気を抜くと持っていかれそうになる。
「不審物として通報があったが、鳥の巣とは」
「とはいえ、よく見つけたものですね」
汗ばんできたのか、不意に制帽を取った松田の頭上を見て彼女がさっと視線を逸らした。肩が震えているのが見て取れる。不意に悪戯心が沸いて、萩原は女性の傍に歩み寄った。つむじが見下ろせるくらい小柄な彼女に向かって、他には聞こえない程度の声量で呟いた。
(鳥の巣アタマ……)
「ぶふぅッ」
おおよそ女性には似つかわしくない声で吹き出した彼女に、鳥の巣を注視していた二人が振り返る。彼女は萩原に恨めしげな視線を向けているが、萩原はニヤリと笑っただけだった。
「おいうるせぇぞ、ハギ」
「理不尽!」
怒られちゃった、ごめんね、と片目を瞑ってみせると彼女は苦笑しながら頷いた。先程のイタズラはどうやら許してくれたようだ。
「お巡りさんにご迷惑をおかけしてはいけませんよ」
「すいません、つい」
上品な物腰で部下を嗜める様子は宮内庁職員と言われて納得する。少なくとも機動隊員にはいないタイプだ。
「うちの隊長だったら手が出てたなぁ」
「あぁ見えて、怒ると結構怖いですよ」
「え、そうなの? 見えないなぁ」
「この間もよその部署と喧嘩してきましたしね」
窘められたばかりなのに、もうつぶやきを拾って笑っている彼女を見るとメンタルはタフな方らしい。萩原も普段は滅多に関わることのない宮内庁の仕事や、無口な彼女の上司についてあれこれと話を聞き出している。持って生まれた習性が半分、あとの半分は好奇心だ。
松田との引き継ぎが終わったらしく、宮内庁職員の男がこちらにやってきたのを萩原はにこにこと寄っていって話しかける。
「こいつって、こんな地面に巣作って、狙われたりしないんですか?」
すぐ足元の巣を指さして萩原が問いかけると、彼はしばらく思案してから、ピィピィとあいも変わらず餌をねだっている雛にどこか悲しそうな目を向けた。
「狙われて命を落とすこともあるでしょう。ですが、それも自然の摂理のひとつです」
表情を見る限りでは冷たいことを言っている自覚もあるのだろう。だが、人の手でその摂理を歪めることは、その生命に責任を持つということだ。それを無責任におこなうべきではない、ということは萩原にも松田にも分かっていた。とはいえ。
「おうお前ら、強く生きろよ」
再び地面にしゃがみこんだ松田が、そちらに向かって餌をねだる雛たちに優しく声をかけていた。その様子をじっと見つめていた彼女が、顔を顰めていた。
「いるよなぁ……こういうギャップのすごいひと」
「わかる……」
目付きの悪い上にサングラスの機動隊員がそのそこそこでかい上背を丸めて、雛鳥に話しかけるのはそりゃあギャップ以外のなにものでもないだろう。うんうん、と萩原も頷きながら二人で頷いているのを、不思議そうな顔で職員が見ていた。